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モノをモノとして、風景を風景として愛するということ(後編)
トレンドを知る

モノをモノとして、風景を風景として愛するということ(後編)

大谷和利
2016
11
15

先日、知人と交わした会話に出てきたエピソードですが、彼がたまたま訪れた水辺がポケモンGOのスポットとなっており、その周辺には意外なほど多くの人々が集まっていたそうです。場所柄、水に関係するポケモンが多く出没するようで、それらを捕獲しに集まっていたと考えられます。

そのとき、知人は普段なかなか見ることのできない鳥が岸からすぐ近くの浅瀬に一本足で立ち、こちらをじっと見ていることに気づきました。彼が、これは素晴らしい体験だと思ってあたりを見回しました。ところが、周囲の人たちは、皆、スマートフォンの画面と操作に夢中で、その珍しい鳥など眼中になかったのです。

筆者が危惧するのは、まさにそういう現象であり、ゆるキャラやアニメの舞台となったことに惹かれて市町村を訪れても、結局、キャラクター探しや、シーンに描かれたスポットの回遊に終始していては、本当の意味でその地域が持つ価値に気づいたことにはならないと感じます。

また、テレビ番組である高名な山寺の紹介をしているときに、その奥にさらに神聖な場所があるということでカメラが移動していくと、確かに静寂な境内に古いお堂が凛として建っていたのですが、画角の隅にその地域のゆるキャラの立て看板が写り込んでいたこともありました。

寺としては、自治体の観光課の要請に応じるような形で、地域貢献になればという思いから設置したのかもしれません。しかし、たとえば施設の駐車場などであればまだしも、境内の、しかも奥の院のようなところに置くのは明らかに場違いであり、興ざめしてしまったのです。

確かに、ゆるキャラなどをきっかけに訪れた人々が地元にお金を落としてくれれば、地域経済に寄与するでしょう。一方で、その旅や訪問が、誰かに提示された名物や風景の表層的な再確認作業に過ぎないならば、結局、物事の本質に気づかずに通り過ぎてしまいかねません。

もちろん、筆者の知り合いには、モノに対する豊富な知見を持ちながら、ポケモンGOにも熱心に取り組んむ人がいます。ただ、そういう人たちは、現在のキャラクタービジネスが隆盛を迎える前からそのようなモノを見る目を鍛えてきた経験を持ち、最初からキャラクターを通じて周囲の世界と接してきたわけではないのです。

SNSは素晴らしいサービスですが、リアルな世界を知らずにSNSで飛び交う情報を盲信してしまうと危険なように、モノの本質を見る訓練ができていないうちからキャラクターを介して自分と外界の関係を築いていくことに筆者は危惧を覚えます。

たとえば、弁当箱ひとつとっても、保温性能や抗菌性などの仕様ではなく、人気キャラクターが付いているからという理由で購入する人や家族は少なくありません。しかし、それは本当の意味で有効なお金の使い方なのでしょうか?

モノそのものの価値を見抜き、景色そのものの魅力を感じられる状態に自分を置く。それが、最終的には物質や経済面のみならず心の資産を守ることにつながると、ますます強く感じるようになってきた今日このごろです。

筆者プロフィール

大谷和利

テクノロジーライター,原宿AssistOnアドバイザー,自称路上写真家。Macintosh専門誌, デザイン評論誌, 自転車雑誌などの誌上でコンピュータ,カメラ,写真,デザイン,自転車分野の文筆活動を行うかたわら,製品開発のコンサルティングも手がける。<a href="http://www.assiston.co.jp/shopinfo" rel="nofollow" target="_blank">原宿アシストオンのウェブサイト</a>

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